運転資本調整とは
M&Aでは、クロージング時点の運転資本(売掛金+在庫-買掛金など)が、あらかじめ定めた基準水準と異なる場合に、その差額を価格に反映させることがあります。
目的は、売り手が引き渡し直前に運転資本を意図的に減らすこと(在庫を減らす、売掛を早期回収する)を防ぐことにあります。買い手は、通常の水準の運転資本とともに事業を引き継ぐことを前提としています。
食品工場で特に問題になる理由
食品製造業には、次のような季節変動があります。
- 繁忙期に向けて原料と包材を積み増す
- 需要期に売上が集中し、売掛金が膨らむ
- 年末年始・お盆前後で出荷が大きく動く
- 原料の収穫期にまとめて仕入れる(農水産物)
そのため、クロージングの時期によって運転資本の水準が大きく変わります。基準の決め方を誤ると、売り手にも買い手にも不公平な結果になります。
基準水準の決め方
方法1:直近12か月の平均
最も一般的です。季節変動をならすことができます。ただし、事業が成長している場合は実態より低い水準になります。
方法2:直近数か月の平均
足元の水準を反映しやすい一方、その期間が繁忙期か閑散期かで大きく変わります。
方法3:同じ時期の前年水準
季節性を考慮する方法です。「クロージングが8月なら、前年8月の水準を基準にする」という形です。食品工場では合理的な方法ですが、事業規模の変化を反映しにくい面があります。
方法4:売上高に対する比率
運転資本を売上高の一定割合として設定する方法です。規模の変動には対応できますが、季節性の説明が別途必要です。
売り手として確認すべきこと
- 運転資本の定義:何を含み、何を含まないか(現預金は通常ネットデット側で扱われます)
- 基準水準の算定方法:どの期間の、どういう計算か
- 算定の基準日:クロージング日か、直前の月末か
- 誰が算定するか:買い手側の会計士か、双方の合意か
- 異議を申し立てる手続き:算定結果に納得できない場合の解決方法
- 調整に上限・下限があるか
特に1番目が重要です。在庫の評価方法が曖昧だと、滞留在庫の扱いで揉めます。在庫の評価で扱っている論点です。
季節性を主張するための準備
「この時期は在庫が多いのが通常だ」と説明するには、根拠が必要です。次を用意してください。
- 過去3年分の月次の在庫残高推移
- 過去3年分の月次の売掛金・買掛金残高推移
- 月次の売上推移(在庫の増減との対応が分かる形で)
- 繁忙期・閑散期の説明資料
この資料があると、基準水準の設定について有利な主張ができます。逆に、資料がなければ買い手の提案する方法を受け入れることになります。
クロージング時期の選び方
運転資本の観点だけで決めるものではありませんが、参考として次の点があります。
- 繁閑の落差が小さい時期のほうが、調整の議論は単純になる
- 買収監査を繁忙期に行うと、現場が資料対応に手が回らない
- 決算期の直後は、数字が確定していて説明しやすい
スケジュール全体の考え方はM&Aの期間はどれくらいかを参照してください。
やってはいけないこと
クロージング直前に、意図的に在庫を減らす、売掛金を早期回収する、買掛金の支払いを遅らせる。これらは調整の仕組みで是正されるうえ、信頼を損ないます。
通常の営業を続けることが、結果的に最も有利です。最終契約でも「通常の営業の範囲を超える行為をしない」という誓約が定められるのが一般的です。最終契約書の要点をご覧ください。
実務の流れ
- 最終契約で、定義・算定方法・基準水準を定める
- クロージング時に、暫定の金額で決済する
- クロージング後、確定した数字で算定する
- 差額を精算する
3と4には1〜3か月かかることがあります。この間、代金の一部が確定しないということでもあるので、資金計画に織り込んでおいてください。クロージングでやることを参照してください。