なぜ運送業の労務は難しいのか
理由は2つあります。ひとつは、労働時間が長くなりやすく、かつ運転以外の時間(荷待ち・荷役・点検)が多いこと。もうひとつは、賃金が固定給・歩合給・各種手当の組み合わせになりやすく、割増賃金の計算が複雑になることです。
この2つが重なると、計算の誤差が生じやすくなります。しかも誤差は過去にさかのぼって積み上がるため、放置するほど金額が大きくなります。
労働時間の把握
まず確認すべきは、実際の労働時間が正しく記録されているかどうかです。日報、デジタコの記録、勤怠システム。複数の記録がある場合、内容が食い違っていないかが重要です。食い違いがあると、どちらが正しいかを後から立証できません。
記録の方法を統一し、乗務員が迷わず記録できる運用にすることが出発点になります。
改善基準告示と上限規制
自動車運転者については、時間外労働の上限規制が適用され、あわせて拘束時間・休息期間等を定めた改善基準告示が適用されます。これは法令遵守の問題であると同時に、稼働できる時間の上限が決まるという経営の問題でもあります。
限られた時間で必要な利益を確保するには、運賃と原価の見直しが避けられません。労務対応と運賃交渉は一体で考えるべきテーマです(運送原価計算 完全ガイド)。
荷待ち時間の扱い
荷主先での待機時間が労働時間として扱われているか。ここは実務でよく論点になります。待機が発生している実態を記録し、荷主と待機料の収受について交渉することは、労務対応であると同時に収益改善でもあります。
歩合給と割増賃金
歩合給がある場合、割増賃金の計算方法が固定給のみの場合と異なります。計算式が実態に合っているか、賃金台帳で検証しておく必要があります。
また、各種手当のうち割増賃金の基礎に含めるべきものが除外されていないかも確認ポイントです。名称ではなく性質で判断されます。
固定残業代の設計
固定残業代を採用する場合、金額と、それが対応する時間数が明示されていること、超過分が別途支払われていることが前提になります。「◯◯手当に残業代を含む」という運用は、内訳が示されていないと有効性が問われかねません。
規程と実態の一致
就業規則や賃金規程はあるが、実際の運用が違う。これは運送業に限らずよくある状態ですが、承継やM&Aの場面では必ず突き合わせが行われます。規程を実態に合わせるのか、実態を規程に合わせるのか、方針を決めて統一しましょう。
点呼と記録
点呼の記録は、巡回指導・監査で必ず確認される書類です。近年は点呼のデジタル化も進んでおり、記録の正確性と省力化を同時に実現できる場面が増えています。
記録が整っている会社は、監査でもデューデリジェンスでも説明が早く済みます。
是正をどう進めるか
- 実態の把握:記録と計算方法のずれを特定する
- 設計の見直し:固定給・歩合給・手当・固定残業代を組み直す
- 従業員への説明:手取りへの影響を丁寧に伝える
- 運用の定着:毎月の計算が正しく回る状態にする
- 過去分の方針決定:専門家と相談し、対応の方針と時間軸を決める
2の設計変更は、進め方を誤ると不信を招きます。「手取りが下がるのではないか」という不安に先回りして説明することが定着のカギです。
承継・M&Aとの関係
買い手は、勤怠記録・賃金台帳・就業規則・36協定・是正勧告の有無を確認します。課題があること自体より、把握していないことが問題視されます。途中まででも是正が進んでいれば、交渉での説明力は大きく変わります。
どこから手をつけるか
何から手を付けるべきかは会社によって違うと書きましたが、順序の原則はあります。迷ったときの目安として整理しておきます。
最初にやるべきは、記録を整えることです。設計を先に変えようとしても、今の実態が分からなければ、変えた後にどうなるかが計算できません。記録がないまま制度をいじると、かえって混乱します。
次が、計算の検証です。今の賃金の計算が、規程どおりに行われているか。規程と実態がずれているなら、どちらが正しいのかを確かめる必要があります。ここは自社だけで判断せず、専門家に見てもらってください。
その次に、設計の見直しです。記録と計算の現状が分かって初めて、どう組み直すかを考えられます。
そして最後に、過去分の扱いです。順序を逆にして、過去の話から入ると、恐れが先に立って何も進まなくなります。まず今を正しくしてから、過去をどうするかを決めてください。
この順序であれば、途中で止まっても、止まった時点までは前進しています。記録を整えただけでも、状況の把握という点で意味があります。
誤差が積み上がる仕組み
誤差は過去にさかのぼって積み上がると書きました。この仕組みを理解しておくと、着手を先送りしない理由になります。
毎月の計算に小さなずれがあっても、一か月分では大きな金額になりません。だから、日常の中では問題として認識されにくいものです。
しかし、人数を掛け、月数を掛けると、金額は一気に大きくなります。しかも、時間が経つほど対象の期間が延びるため、何もしない期間そのものが負担を増やします。
もう一つ、金額が確定しないという問題があります。記録が不十分だと、いくらのずれがあるのかも分かりません。分からないものは、見積もる側が保守的に、つまり大きく見ます。
だから、たとえ是正が一年や二年かかるとしても、着手した時点から積み上がりは止まります。止めることと、過去を解決することは別の話です。
そして、着手したという事実そのものが、後の説明で効きます。把握していない状態が最も評価を下げます。
従業員への説明で気をつけること
手取りへの影響を丁寧に伝えることが定着の鍵だと書きました。実際の説明で押さえるべき点を挙げます。
まず、目的を先に伝えてください。会社を守るためという言い方ではなく、働いた時間に対して正しく払うための見直しである、と伝えます。この立て付けであれば、協力が得られます。
次に、個々人への影響を具体的に示してください。全体の方針だけを説明しても、本人は自分の手取りがどうなるかを知りたいのです。試算を個別に示すほうが、不安が小さくなります。
そして、下がる人がいる場合は、正面から伝えてください。隠して後から分かると、不信が残ります。下がる分をどう扱うか、経過措置を置くのか。あわせて示す必要があります。
説明の場は、一度で終わらせないでください。最初の説明で理解できる人は多くありません。質問を受ける機会を、時間を置いて複数回設けてください。
そして、決めたことは書面で渡してください。口頭の説明だけでは、後から言った言わないになります。
専門家とどう組むか
過去分の方針は専門家と相談して決めると書きました。相談するときの準備と、任せる範囲を整理します。
相談の前に、こちらで用意しておきたいのは、就業規則と賃金規程、直近数か月の賃金台帳、勤怠と運行の記録です。これがないと、話が一般論で終わります。
そして、何を相談したいのかを明確にしてください。計算方法が適切かを見てほしいのか、制度を組み直したいのか、過去分の対応を決めたいのか。目的によって、必要な作業が違います。
任せる範囲としては、法令の解釈と計算方法の検証、制度の設計は専門家の領域です。一方、実態の記録と、従業員への説明は、社内でしかできません。ここを外に任せようとすると、うまくいきません。
費用については、範囲を決めて見積もってもらってください。継続的に見てもらうのか、一度の点検だけかで、大きく変わります。
そして、運送業の実務を知っている専門家を選んでください。荷待ちや歩合の扱いなど、業種特有の論点があります。一般的な知識だけでは、実態に合った助言になりません。
規程と実態のどちらを直すか
規程を実態に合わせるのか、実態を規程に合わせるのか、方針を決めて統一しましょうと書きました。この判断の考え方を補います。
原則として、法令に沿っているかどうかが最初の分かれ目です。実態が法令に沿っていないなら、実態を直す以外にありません。規程をそちらに合わせることはできません。
両方が法令の範囲内にあり、単に食い違っているだけなら、どちらに寄せるかは選べます。判断の基準は、どちらが実際に運用できるかです。
規程が現実離れしている場合、実態に合わせて規程を書き直すほうが機能します。守れない規程を掲げ続けると、他の条項の信頼も失われます。
逆に、実態が緩んでいるだけなら、規程に戻す努力が必要です。この場合、なぜ緩んだのかを確かめてください。人手が足りない、手順が煩雑、そもそも周知されていない。原因を放置したまま「規程どおりに」と言っても、また戻ります。
そして、直した後は周知してください。規程を変えたことを知らない人がいると、実態は変わりません。
是正が止まる場面
着手すれば必ず前に進むと書きましたが、途中で止まる会社もあります。止まる場面には型があります。
一つは、記録を求めたが現場が書かない場面です。目的が伝わっていない、様式が重い、書いても何も起きない。原因はこの三つのどれかです。様式を軽くし、目的を伝え、集めた結果を返す。この三点で、たいてい動き出します。
二つ目は、計算の見直しで想定より大きな影響が出た場面です。ここで怖くなって止まると、状態は何も変わりません。影響が大きいほど、放置したときの積み上がりも大きいということです。時間をかけてでも進める前提で、計画を立ててください。
三つ目は、担当者が一人で抱えて動けなくなる場面です。労務の見直しは、経理、運行、総務にまたがります。一人に任せると、他部署の協力が得られず止まります。誰が何を担うかを最初に決めてください。
そして、止まったまま数年が過ぎる会社が実際にあります。止まっていることに気づく仕組みとして、半年に一度は進み具合を確認する場を設けてください。
労務と運賃を一体で考える
労務対応と運賃交渉は一体で考えるべきテーマだと書きました。この関係を、実務の順序として整理します。
労働時間の管理を厳しくすると、一人あたりで運べる量に上限ができます。同じ売上を維持するには、人を増やすか、単価を上げるか、無駄な時間を減らすかのいずれかが必要です。
人を増やすのは、費用が増えるだけでなく、そもそも採用が難しい領域です。だから、まず無駄な時間を減らし、それでも足りない分を単価で埋める、という順序になります。
無駄な時間の筆頭が、荷待ちです。ここを減らすことは、労務の負担を下げると同時に、運行の効率を上げます。しかも、相手にとっても費用がかからない改善であることが多く、話が進みやすい領域です。
そのうえで、減らしきれない部分は、料金として求めるか、運賃に反映してもらうことになります。労務の記録が、そのまま交渉の材料になります。
だから、記録を整える作業は、法令対応のためだけの作業ではありません。収益の改善に直結する準備でもあります。
承継を考える時期に何を揃えるか
途中まででも是正が進んでいれば交渉での説明力が変わると書きました。揃えておきたいものを具体的にします。
まず、記録の一式です。勤怠と運行の記録、賃金台帳、就業規則と賃金規程、労使協定。これらが直近数年分そろっていることが前提になります。
次に、現状の説明です。どこに課題があり、いつから何に取り組み、今どこまで進んでいるか。これを一枚にまとめておいてください。課題があること自体は、多くの会社に共通します。差が出るのは、把握しているかどうかです。
そして、専門家に見てもらった記録があれば、それも示せます。第三者が確認したという事実は、説明の裏づけになります。
指摘や勧告を受けたことがあるなら、その経過と対応も残してください。隠して調査で出てくると、他の説明も疑われます。
制度の見直しと運用の定着には時間がかかります。承継を考え始めた時点で着手すれば、その時間を確保できます。決まってから始めると、間に合いません。
まとめ
労務は、運送業の経営で最も重く、同時に最も改善効果が見えやすい領域です。記録を整え、賃金の設計を見直し、運用を定着させる。時間はかかりますが、着手すれば必ず前に進みます。
何から手を付けるべきかは会社によって違います。現状をお聞かせいただければ、優先順位からご提案します。
※ 本記事は一般的な考え方を整理したものです。労働時間・賃金に関する具体的な取扱いは、法令の改正や個別の労働条件、実際の運用によって異なります。是正を検討される際は、社会保険労務士等の専門家にご確認ください。