法務DDで確認されること
買い手が知りたいのは三つです。
- 買った後、この会社は今と同じように事業を続けられるか
- あとから知らない請求が出てこないか
- 株式を買えば本当に会社を支配できるか
契約書の棚卸し
まずは、会社が当事者になっている契約をすべて洗い出します。運送業で対象になるのは次のとおりです。
- 運送契約:荷主との基本契約書、料金表、覚書
- 傭車・協力会社契約:下請への発注条件、支払サイト
- リース契約:車両、フォークリフト、事務機器
- 賃貸借契約:車庫、倉庫、事務所
- 借入・保証:金融機関との契約、個人保証の範囲
- 労働関係:就業規則、労使協定、雇用契約書
- 保険:自動車保険、貨物保険、労災上乗せ
実際に多いのが「契約書がない」というケースです。長年の付き合いで口頭のまま、というのは運送業では珍しくありません。無いこと自体は致命的ではありませんが、無いという事実を先に伝えることが重要です。発注書・請求書・単価表など、条件を示す書面を代わりに揃えてください。
チェンジオブコントロール条項
契約書の中に、株主が変わったら相手方が解約できるという条項が入っていることがあります。大手荷主との基本契約やリース契約に入りやすい条項です。
この条項があると、株式譲渡の前に相手方への通知や同意取得が必要になります。見落とすとクロージング後に問題化するため、棚卸しの段階で条項の有無をチェックしてください。
許認可の状態
運送業の許可は会社に付いています。株式譲渡であれば会社は変わらないため許可も残りますが、役員が変わることによる届出は必要です。事業譲渡や会社分割では扱いが変わります。
- 許可証の原本があるか
- 営業所・車庫の届出内容と実態が一致しているか
- 運行管理者・整備管理者の選任届が最新か
- 過去の行政処分・改善指示の履歴
届出内容と実態のずれは、法務DDで頻繁に見つかります。許認可の届出手続き、株式譲渡と事業譲渡の違いもあわせてご覧ください。
株主名簿と株券
意外に手間取るのがここです。
- 株主名簿が現状と一致しているか
- 過去に名義株(他人名義で引き受けてもらった株)がないか
- 相続で分散した株を把握できているか
- 株券発行会社になっていないか(定款の確認)
創業が古い会社ほど、名義株や相続分散が残っています。買い手は100%の取得を望むことがほとんどなので、少数株主の所在確認と集約は早めに始めてください。株式の移転方法で整理しています。
訴訟・紛争・事故
係争中の案件、過去の重大事故、労働基準監督署の是正勧告、荷主とのクレーム。いずれも先に開示するのが原則です。
隠したことが後から出ると、表明保証違反として金銭的な責任を問われる可能性があります。表明保証とは何かをご覧ください。
不動産と担保
車庫や倉庫を自社で所有している場合、登記簿で担保設定を確認します。社長個人が所有して会社に貸している場合は、M&A後も貸し続けるのかが交渉点になります。賃料が相場から離れていると、価格の調整対象にもなります。
準備の進め方
一度に全部は揃いません。次の順序が現実的です。
- 契約書ファイルを物理的に集める(電子も含めて一箇所に)
- 一覧表を作る(相手方・種類・期間・自動更新の有無・CoC条項)
- 無い契約を洗い出し、代替書面を探す
- 許認可関係の届出内容と実態を突合する
- 株主名簿を確認し、分散があれば対応を検討する
この作業は買い手が現れる前にやっておくのが理想です。相手が決まってから始めると、必ず交渉のスピードが落ちます。
書類が揃っていないだけで止まる
法務の調査で最も多いつまずきは、違法な状態が見つかることではなく、書類が見当たらないことです。契約書がない、更新後の版が分からない、誰が保管しているのか不明。こうした状態が続くと、調査そのものが進みません。
買い手から見れば、書類が出てこない会社は「他にも把握できていないことがあるのではないか」と映ります。実際には単に整理されていないだけでも、印象としては同じです。
したがって、棚卸しは早めに始めてください。契約書を物理的に一箇所に集め、一覧表を作る。この作業は誰にでもできますし、譲渡を伏せたまま「契約内容の整理」として進められます。
契約書がないときの対応
長年の付き合いで、書面を交わさずに取引している荷主があるのは、この業界では珍しいことではありません。ないものは仕方がないので、代わりになるものを探します。
発注書、料金表、請求書と入金の履歴、メールでのやり取り。これらがあれば、取引の実態は示せます。「契約書はないが、この条件で十年取引が続いている」と説明できれば、買い手も判断できます。
可能であれば、譲渡の前に基本契約を交わしておくと、引き継ぎははるかに確実になります。ただし、荷主に理由を尋ねられる可能性があるため、時期の見極めは慎重に行ってください。
支配権が変わったときの条項
契約のなかに、株主や経営者が変わったときに相手方が解除できるという定めが入っていることがあります。運送業では、大手の荷主との契約に含まれていることが多い条項です。
この条項がある場合、譲渡の前に相手方への説明や同意の取得が必要になります。誰が、いつ、どう説明するかは、買い手と相談して決めてください。売り手が単独で切り出すと、荷主に不安だけが残ることがあります。
同意の取得には時間がかかることがあり、クロージングの日程を左右します。契約書の棚卸しの段階で、この条項の有無を一覧に書き込んでおいてください。
株主名簿の確認は最優先
法務の調査で最も深刻な問題になりやすいのが、株式の帰属です。名簿が実態と一致していない、名義株が残っている、相続で分散したまま名義変更されていない。こうした状態では、そもそも株式を譲れません。
集約には交渉と時間が要ります。相手のあることなので、自社の努力だけでは進みません。数か月から一年を見ておいてください。
だからこそ、検討を始めた最初の段階で名簿を確認してください。譲渡の話が具体化する前のほうが、相手も身構えずに応じてくれます。承継の準備として、早めに着手する価値のある項目です。
許認可の実態確認
許可が有効であることは前提として、届出の内容と実態が一致しているかが問われます。営業所や車庫の所在地と面積、運行管理者と整備管理者の選任状況、点呼の記録。
実態が変わっているのに届出をしていない、というケースは実際にあります。車庫を増やした、事務所を移した、管理者が交代した。日々の業務のなかで、届出が後回しになっていることがあります。
調査で指摘されると、是正がクロージングの前提条件になることもあります。手続きに時間がかかるため、日程に影響します。早めに突合しておいてください。
訴訟や事故の履歴
係争中の案件や、過去の事故について、開示を求められます。保険で処理が済んでいるものも含めて、履歴を整理しておいてください。
事故については、件数だけでなく、その後に何を変えたかまで説明できると評価が変わります。教育の仕組みを変えた、点呼の方法を見直した、車両に安全装置を追加した。再発防止の取り組みが示せれば、履歴そのものより姿勢が評価されます。
従業員との間の紛争についても同様です。過去に労働に関する請求があったのであれば、その経緯と、その後の是正を説明できるようにしておいてください。
不動産と担保の整理
車庫や営業所が自社所有であれば、登記の内容と担保の設定状況を確認します。借入の担保に入っているのが通常ですが、譲渡に伴って扱いが変わることがあります。
賃借であれば、契約の残期間、更新の条件、賃貸人の承諾が必要かどうかを確認します。車庫は許可の要件に関わるため、使えなくなると事業そのものが止まります。契約の安定性は、買い手が重視する点です。
社長個人の所有地を会社が使っている場合は、譲渡後の扱いを決めておく必要があります。売るのか、貸し続けるのか、条件はどうするのか。譲渡代金とは別の交渉になります。
棚卸しの進め方
契約書の整理は、次の順で進めると漏れがありません。
まず、物理的に集めます。事務所のキャビネット、社長の机、経理の棚、電子データ。散らばっているものを一箇所にまとめるところから始めます。
次に、一覧表を作ります。相手方、契約の種類、締結日、期間、自動更新の有無、支配権の変更に関する条項の有無。この六項目があれば、調査で求められる情報のほとんどをカバーできます。
そのうえで、ないものを洗い出します。取引はあるのに契約書が見当たらない相手を特定し、代わりになる資料を探します。
最後に、許認可の届出内容と実態を突合し、株主名簿を確認します。この二つは、問題があれば対応に時間がかかるため、早めに済ませてください。
誰に頼めるか
棚卸しの作業は、社長一人でやる必要はありません。契約書を集める、一覧表に入力する、といった作業は、譲渡に触れずに依頼できます。「契約内容を整理したい」という説明で足ります。
ただし、株主名簿の確認や、許認可の実態との突合は、事情を知っている人でないと進められない場合があります。伝える相手を最小限にとどめ、秘密保持の誓約を交わしたうえで協力を仰いでください。
専門的な判断が必要な部分は、弁護士に相談してください。とくに、支配権の変更に関する条項の解釈や、株式の帰属に問題がある場合の対応は、専門家の関与が欠かせません。
法務の準備は他の準備と重なる
契約書の棚卸しは、法務の調査のためだけの作業ではありません。財務の調査ではリース契約の残債が問われますし、労務の調査では雇用契約書と就業規則が求められます。許認可の確認は、そのまま事業の適正な運営につながります。
つまり、一度きちんと整理すれば、複数の調査に対応できます。逆に、整理しないまま進めると、それぞれの調査で同じ資料を探し回ることになります。
作業としては地味ですが、譲渡の準備のなかでは最も費用対効果が高い部類です。専門家に依頼しなくても、時間をかければ自社で進められます。
譲渡を選ばなくても残るもの
契約書が整理され、許認可の届出が実態と一致し、株主名簿が正確になる。これらは、譲渡を選ばなかった場合でも会社の財産になります。
相続が発生したときに株式の帰属が明確であること、行政の監査で届出との齟齬がないこと、取引条件が書面で残っていること。いずれも、日々の経営のリスクを減らします。
譲渡の検討をきっかけに整理が進んだ、という例は多くあります。判断がどちらに転んでも、無駄にはならない作業です。
契約の自動更新に注意する
一覧表に「自動更新の有無」を入れるよう挙げましたが、これには理由があります。自動更新の契約は、気づかないうちに条件が固定され続けます。譲渡の直前に更新時期が来ると、更新するかどうかの判断を迫られます。
とくにリースや賃貸借では、更新のタイミングで条件を見直せる場合があります。譲渡を控えているなら、長期の契約を新たに結ぶことが買い手にとって負担になることもあります。逆に、車庫の賃貸借のように事業の継続に不可欠な契約は、期間が短いと買い手が不安に感じます。
更新の時期が近い契約については、どう扱うかを買い手と相談してください。判断を先送りにすると、クロージングの直前に問題として浮上します。
電子データの扱い
契約書が電子化されている場合、どこに保存され、誰がアクセスできるのかも確認しておいてください。担当者の個人フォルダにしかない、退職した社員のパソコンに残っている、といった状態は珍しくありません。
調査では、原本の所在も問われます。電子データしかない契約について、原本がどこにあるのかを説明できるようにしておいてください。原本が見当たらない場合は、その旨を伝えれば足ります。
まとめ
法務DDの本質は、契約・許認可・株式という三つの「土台」の確認です。書類を集め、一覧にし、足りないものを把握する。この地道な棚卸しが、交渉を止めない最良の準備になります。
※ 本記事は一般的な考え方を整理したものです。許認可の具体的な取扱い・必要書類・審査期間は、法令の改正や管轄行政庁の運用によって異なります。実際の手続きにあたっては、必ず管轄の運輸支局等および専門家にご確認ください。